アポカリプスホテル考察#1:ヤチヨさんの自我【ネタバレ】
2025年8月29日(金) 感想・考察
2025春アニメ「アポカリプスホテル」が終わって2ヶ月経ちました。いやー、面白かったです。退廃感と生存感が両立する良質なSF描写と、畳み掛けるようなコメディ展開に、全12話まったく飽きることなく完走しました。可愛らしいキャラデザ、美しい背景、シーンにぴったりハマった音楽など、素晴らしい要素が満載の作品だったと思います。中でもストーリーやキャラクターの緻密な表現が特に素晴らしく、これは考察しがいがありそうだと感じたものです。そういえばちょっと前に「現代はSFが衰退した」的なバズりもあったことだし、いっちょ本気で考察してやるか!となったのが当エントリです。全3回で濃密にお送りしますので、是非お楽しみください。
第1回のテーマは、本作の主人公、ヤチヨさんの「自我」についてです。
はじめに
最初に大事なことを言わせてください。「アポカリプスホテル」は考察なんかしなくても、頭からっぽで楽しむことができる傑作アニメです。こんな考察を書いたり読んだりするのは、それ自体が「わざわざやってる」もの好き仕草です。「せっかくの名作なのに考察なんかしたら興が削がれる」的なご意見はごもっともだと思います。それを念頭においてお読みいただくか、あるいはお読みいただかないのが良いのかなと。こういう考察が好き~という方にご覧いただければと思います。
また、当エントリにはネタバレが大量に盛り込まれています。最初っから飛ばしてます。まだアニメを見てないよという方は、是非アニメをご覧になってから読んでいただきたいです。こんな良質なSFアニメのネタバレをこんなとこで見ちゃうのは勿体ない!なお、当エントリのコピペ(一部)やスクショをSNSなどに貼り付けても問題ないですが、ネタバレにはそれぞれご配慮いただけると助かります。また、このエントリの最後に載せた「まとめ画像」については、SNS掲載をご遠慮いただけると助かります。
#1 ヤチヨさんの自我 まえがき
このエントリでは、ヤチヨさんに発現する自我について考えます。最終話では明らかに感情をもっているように描かれるヤチヨさんが、どのように自我を獲得していったのか、全12話のストーリーを振り返っていきます。本稿では僕が想像で補っている分析も多々ありますが、作中で明確に描写されている要素も多いと感じています。この考察を読んで「おや?」となった方は、是非アニメを見返してください。
ホテリエロボット「ヤチヨ」のシンギュラリティ
或るホテリエロボットの物語
カメマル技研製ホテリエ専用アンドロイドKGHO T8000
個体識別名「ヤチヨ」
ヤチヨさんは、ホテル銀河楼で働くホテリエロボットです。彼女は僕らの現実世界より未来の世界で作られた優れたロボットですが、量産された製品のうちの一体であり、他の個体と特に違いのない存在だったと考えられます。優秀なAIを積んでいるものの、それはあくまでホテリエとしての仕事をするためのもの。彼女に人格という概念や自我をもつ機能はありませんでした。
そんなヤチヨさんがどうやって自我を獲得していったのか。
実は本作では、そこまでの経緯がかなり丁寧に描かれています。その話をするために早速1話から見ていきたい……ところなんですが、しかし、その前にどうしても触れておきたいことがあります。
それは、ヤチヨさんに終始のしかかっていた、ある「力」についてです。
それはストレスから始まった
というわけで、いきなり最終話の最終シーンから話を始めます。
ヤチヨさんが人格を得るまでのプロセスにはいくつかの段階があります。しかし、そのプロセスを経るだけでは、量産ロボットであるヤチヨさんに心が宿ることはなかったでしょう。人工知能に心が宿るには、特殊な「状況」が必要でした。その状況とは――
ヤチヨ「人類の、バカーーーーー!!!」
最終話の最後のシーンで、それまでヤチヨさんが抱え続けてきたものの正体が明かされます。彼女は、「すぐ帰ってくる」と果たされない約束をした人類に対して、ずーーっと怒っていました。彼女に「感情」という概念がなかった頃から、本人すらそれがそうであると気づかず、イライラし続けていたんです。
ヤチヨさんは何百年もの間、ずっとストレスを感じ続けていました。
彼女がどのように自我を獲得していくかのプロセスは次節以降で見ていきますが、「強烈なストレスを感じ続けていた」という状況が彼女の変革を後押しする力として常に作用していたのは間違いなさそうです。AIが自意識を発動するのに必要なのは「プロセス=手順」だけではありません。すぐに帰ってくると言っておきながら100年以上もほったらかしにされる、圧倒的な「体験」です。その暴力的な「負荷」こそが心を育む原動力になってるんですよね。
作中でヤチヨさんがストレスを感じている描写は多く見られますが、特に強く描かれるのが最初の1話です。ヤチヨさんが「ブチ切れる」シャンプーハットに至るまでの描写が面白いですよね。ドアマンロボさんへの不満が徐々に高まっていくのが分かりやすく描かれています。
ヤチヨ「ドアの開け閉めは極力控えてください」
ヤチヨ「控えて頂くわけにはいきませんか?」
(無言で)ザバーーッ!!
ヤチヨ「開けるなっつってんだろ!!」
いや、もうこれ感情表現じゃんという向きもあると思いますが、これはまだ叱責しているだけです。本作がコメディ作品である点も踏まえて、慎重に判断していきたいと思います。
1話の時点でヤチヨさんのストレスの種は多くありました。仲間のロボットは次々と故障し、「最後の一人」の掘削ロボさんも壊れてしまいました。ドアマンロボさんはちっとも言う事を聞いてくれず、そもそも人類は誰も帰ってきやしません。自分たちは今後の銀河楼を運営し続けることができるのか、オーナーとの約束を守り続けることができるのか、強烈な不安を感じていたと考えられます。1話で客室のインスペクション業務に遅延が発生し、思考にノイズが入る表現があったのは、そういった不安の描写だったのでしょう。
人間はこれほどの強烈なストレスに耐えることができません。そもそも100年生きてまともに活動すること自体できませんが、それができたとしても耐えられないでしょう。いわゆる「5億年ボタン」の世界ですよね。誰も帰ってこないこともそうですし、これから先の不安も経過した時間に比例してどんどん大きくなっていきます。自分だったら1年ももたず、あっという間に禿げそうです。
100年もの間、誰も帰ってこない中でホテルを運営し続けるストレスは、AIが人格に目覚める原因となるほどに凄まじいものだったのです。それを踏まえて、1話開始時のヤチヨさんから改めて見ていきましょう。
本来の、仕様通りのヤチヨさん
まずは初期状態のヤチヨさんです。ヤチヨさんは1話から既に「おかしくなる」描写があるので、最初から最後までおかしかったと感じるかもしれません。しかし、本作をよく見ると意外とそうでもなかったりします。
1話冒頭のヤチヨさんは、理知的で感情は抑えめ、ドアマンロボさんへの注意も、何千回もやってるとは思えないほど「初めてのような」話し方で行っています。また、人類から見ると特に奇特に映るのが、朝礼のシーンです。
ヤチヨ「現在宿泊中のお客様0名、本日新規宿泊予定のお客様0名、昨日のホームページ閲覧数0件、目標未達です。今月の宿泊目標1440名、達成まで1440名です」
実に機械的です。この報告を100年続けてきたというだけでも気が狂いそうです。2話の回想シーンでも似たような描写があります。
ヤチヨ「お客様に42分7秒、副支配人に78分24秒叱られてしまいました」
少々落ち込んでいるようにも見えますが、まさに機械の怒られ方です。何を怒られたかではなく、まずどれくらい怒られたかを定量的に報告するあたりが「まさに」ですね。
このように、本来の仕様通りのヤチヨさんはいかにも「機械的」でした。ロボットなので当然なのですが、ヤチヨさんは最初からおかしかったわけではないんですよね。もっとも、そういう描写は少なかったので、そう思われても仕方ないのかもしれませんが。
そんなヤチヨさんが明らかにおかしくなったきっかけ、それが例のアレの消失事件です。
ヤチヨさんとシャンプーハット
西暦2157年4月13日、銀河楼405号室浴室にてシャンプーハットが消失する事件が発生しました。
ヤチヨ「非常事態発生!非常事態発生!」
ヤチヨ「皆さん!人類が地球を旅立って100年、最大の危機です!」
ヤチヨ「これより通常営業体制を一時的に解除!銀座全域の捜索を行います!」
このきわめてどうでもよさそうな事件に対し、ヤチヨさんは不自然なほど大げさな緊急モードを発動します。銀河楼の空気は一変し、銀河楼のロボット総出でシャンプーハットの一斉捜索に赴くことに……となったところで、事件の真相が明らかになります。
……このシーンは一体なんだったんでしょうか?どうしてこんなことになったのか?推測が多めにはなりますが、自分は以下のように考えています。
まず、前述のようにヤチヨさんが内心に大きなストレスを抱えていたこと。ストレスがあまりに大きかったことで、ヤチヨさんの行動が「直接的」、言い方を変えると「雑」になっています。ロボットにそんなことあるのかよと考えたくもなりますが、意外とチャットボットとかもおかしくなりますよね。
それともう一つ。シャンプーハット消失時にヤチヨさんが行った「経営シミュレーション」です。これ、なんかヘンでしたよね。
ヤチヨ「経営シミュレーション、スタート」
ヤチヨ「シャンプーハットの紛失に伴い、お客様の満足度0%に低下、リピート率0%に低下、クチコミ5段階評価0%に低下」
ヤチヨ「結果、ホテル銀河楼存続率、0%――」
このシミュレーションはなんだったんでしょうか?シャンプーハット消失しただけで満足度が0%にはならんでしょ、と思っちゃいます。
ここでヒントになりそうなのが、「シャンプーハットの消失で何パーセント低下したのかは明かされていないこと」、それと「クチコミ5段階評価の0%は5段階での最低評価ではなく回答が0件であること」。
おそらく、シャンプーハット消失が原因で0%に下がったんじゃないと思います。ヤチヨさんのAIは、シャンプーハットの有無にかかわらず、銀河楼の存続率が0%だとシミュレートしたのではないでしょうか。どうせ明日も明後日も客は来ないし、現存の銀河楼のロボットも遠からず損耗してしまいます。それを含めて銀河楼の存続率は0%であると判断したんだと思います。シャンプーハットのせいじゃないんですね。
では、なぜそれがシャンプーハットのせいになっているのか。
ヤチヨさんは、銀河楼が存続できない理由をシャンプーハットに押し付けているんじゃないでしょうか。たまたま無くなったものに「銀河楼存続率=0%」の原因を押し付けて、それを解消する手段を選ぶことで当面の問題を回避しようとしてるんだと思います。シャンプーハットが大丈夫なら銀河楼は大丈夫、そう思い込もうとしてるんじゃないかなと。
つまりこれ、現実逃避なんですよね。
ヤチヨさんは2話以後も、病的なほどにシャンプーハットにこだわり続けます。ロボットのくせに理屈ではなく思い込みし続け、結局最終話まで治ることはありませんでした。あまりに不自然なんですが、しかしこの妄執っぷり、とても人間っぽいと思います。思い込みだからこそ思考ロジックが解決してくれない、宗教や陰謀論なんかでよく見るやつです。
これは自分の考えなんですが、ストーリーに度々登場するこのシャンプーハット。これはヤチヨさんの精神性・人間性・不完全性の象徴だと思っています。どう考えても重要なアイテムでないものが、ヤチヨさんが「そう思い込む」ことによって重要アイテムになっています。そういった「ロボットの完全性を否定する存在」がシャンプーハットなのだと思います。たぶん。
さて、シャンプーハット消失事件の原因はすぐに判明します。しかし銀河楼存続率は相変わらずの0%。ヤチヨさんはいよいよ絶望の淵に沈んでしまいます。
ヤチヨ「終わりです。シャンプーハットがない状態で運営しているホテルなどどこにあるでしょう?終わりです」
ヤチヨ「終わりです。私はオーナーとの約束を果たせませんでした。お客様を迎えることもできず、皆様がおかえりになるまでホテルを守ることも……」
ヤチヨ「ホテル銀河楼は今日で、終わりです」
しかしその時、奇跡が起きます。
なんと、銀河楼に100年ぶりのお客様が現れます。
ただし、お客様は人類ではありませんでした。全身緑色の宇宙人だったのです。
初めての未知、初めての宇宙人
銀河楼に初めての宇宙人が来たシーンにとても興味深い描写があります。ヤチヨさんが挨拶の直前に一瞬だけ「微笑む」んですよね。
ホテリエの挨拶に笑顔は当然かもしれません。ただ、自分にはこのシーンの描写は、ヤチヨさんに狂気が宿った瞬間のように感じられました。これがもし人類が普通に宿泊している時代だったら、宇宙人の来訪は異常として検知され、警報を鳴らしていたような気がします。宇宙人というのは、通常営業中の銀河楼にとってはお客様になり得ないように思うんです。それが今、お客様としての扱いになっている。これはどういうことなのか。
自分の考えとしては、1話のシャンプーハットの事件以降、ヤチヨさんは「正常な判断をしない」特殊な状態になっていたと推測します。銀河楼の存続率が0%になっている今、オーナーとの約束を果たすには、とにかく状況を変える必要があります。ヤチヨさんのAIはこの千載一遇、いや、46億載一遇のチャンスに賭けてるんですね。
しかし、事はそう簡単には進みません。ヤチヨさんには宇宙人のことがさっぱり分からないのです。言葉も通じないし、彼らの好物も生態も習性も常識も何一つ分かりません。お客様に喜んでいただけているのかどうかが分からず、ヤチヨさんは途方に暮れてしまいます。
更に、このタイミングで銀河楼に現れた環境チェックロボも、彼女にとって都合の悪い話をします。
環境チェックロボ「地球にとってもお客様だって言えるのかい?」
彼は宇宙人の来訪で環境の数値が大きく変化していることを指摘し、地球にとって有害な存在かもしれないと警告します。
環境チェックロボ「この先100年、人類が帰ってくる確率は0.0000000002%だ!」
環境チェックロボ「まあ、帰ってくるこねえってより、生き残ってんのかどうかも分からねえってことさ」
とどめに自分以外のAIの視点での人類帰還率まで聞かされてしまい、いよいよヤチヨさんは追い込まれます。オーナーとの約束を果たせないことを理解したヤチヨさんは見るからに生気を失い、笑顔を失ってしまいます。
この時点で「感情がある」とも表現できるのですが、本稿ではこの時点の彼女をニュートラル(中間)な状態だと考えます。ホテリエとしてのロジックが通用せず、彼女にはなすすべがありません。また、銀河楼が存続しないのなら彼女が仕事を続ける意味も無くなってしまいます。何かを発現しているのではなく、ロボットとしての行動の指針を失っている状態です。そういったヤチヨさんAIのロジカルな思考の終焉が描かれたのが、この2話でした。
しかしこの話では、そんな彼女が自発的な発想に至り、立ち直る過程も描かれます。
それはオーナーの指示
失意のヤチヨさんでしたが、溺れた宇宙人を助けようとプールに飛び込んだ際に、昔オーナーから聞かされた話を思い出します。
オーナー「人とロボットが分かりあえるかどうかは、確率で考えるもんじゃねえ。可能性で考えるもんだ。望みが叶わない確率より、叶う可能性を信じろ。お前のAIが思うままに振る舞えばいい」
この言葉を思い出したヤチヨさんは、「0%」の確率に従うのではなく、自らのAIが思うままに振る舞うことを思い立ちます。そうした所で人類が帰ってくる確率は上がりませんが、それでも自分で決めて行動すれば良いとオーナーは言っていました。なにより、意思疎通が難しい目の前のお客様に対して前向きな対応をすることができます。未知の宇宙人と分かりあえるかどうかは確率で考えるのではなく、叶う可能性を信じて、自分で考えたことをやっていけば良いのだと。
この心持ちで、ヤチヨさんは初めての宇宙人対応を無事乗り切るのでした。
さて、オーナーの言葉の意味を考えたいと想います。当然、彼の言葉は宇宙人の来客を想定したものではないでしょう。正直なところ人とロボットの関係を取り持つにはざっくりしすぎで、我々人類にはあまり刺さりません。良いことを言ってる気もしますが、割と適当な物言いにも感じられます。有名どころだと「燃えよドラゴン」の「考えるな、感じろ!」に近いものでしょうか。
しかし、この時点の物語では語られていませんが、8話のヤチヨさんの夢の中で明かされる別の言葉と合わせると、彼の真意が見えてきます。
オーナー「ホテリエたちの仕事には心が通っている。それはいろいろな出来事を経験する中で培われたことだ。教えられたことじゃない。ロボットたちにも同じことが言えると思うんだ。先輩ホテリエの仕事をその目で見て体験していくことで、心を通わせるとはどういうことかを理解し、おもてなしの心を学んでほしい」
要は、ロボットに「心を持て」と言っているんですね。そして、おもてなしの心を持つために必要なのは、確率ではなく可能性で考えることだとアドバイスしたわけです。AIが思うままに振る舞うことで、AIも心を持てる「可能性」があり、その結果、お客様と心を通わすことができるようになる、というのが彼の理想のようです。
ロボットに心。作中の世界であっても、同席していた教育担当者が困惑する程度に非常識なことのようです。無論、AIに対して「心を持て」と言ったところで「心」の機能が発現するようなことはありません。世間のChatGPTやGrokなどに「心を持て」と言ったところで「できません」と即座に返されることでしょう。
それに対し、2話でのオーナーのアドバイスは、まさに「やり方」を示すものでした。なので、結果はともかく実践することはできる。とはいえ、それでもAIがそのまま実践するのは難しいものではあり、それまでのヤチヨさんにも特に響いてはいなかったように思います。
しかし、作中では既に銀河楼存続率は0%で、更に来客中の宇宙人にどのように対応すればいいかが分からないという極限状況です。この状況にオーナーのアドバイスが上手くハマった、というのが理解しやすいところかもしれません。
何にせよ、ここでヤチヨさんは「教えられた知識ではなく、確率論でもない、自らのAIが思うがままに振る舞う」という主体的・自発的な行動原理を獲得します。それはつまり、これまで業務でやってこなかったことにも対応できるということ。これは、彼女のホテリエとしての能力を大幅に拡張することとなりました。3話以降では、彼女がそういった能力を得た前提で話が進んでいきます。
なお、当エントリではイースターエッグプログラムについては考察しません。残念!
銀河楼のために尽くすホテリエロボット
こうして直感的な思考と主体的な行動ができるようになったヤチヨさん。ストーリーの前半である3~6話では、そんな彼女の活躍が見られます。
4話で食材探しに出かけた際のヌデル退治では、生物体であるポン子の囮役を認めたり、予備エネルギーの持参を再考するなど、それまでの慣習とは異なる判断を柔軟に下しています。
また、5話ではシングルモルトウイスキーの醸造に取り掛かります。これはあくまでオーナーの夢であって、銀河楼ホテリエロボットの仕事ではありませんでしたが、自ら目標を立てて長期的な計画・推進を行うようになりました。そこらの人類よりよっぽど高度な仕事を成し遂げています。
6話では凶悪宇宙人こと「ハルマゲ」が地球に襲来しますが、これに柔軟に対応します。その中で、文化や習性が多様な宇宙人への対応を、イラストで案内したりアンケートで確認したりしていました。いずれも本来のホテリエ業務から拡大した、主体的な思考での改善活動です。宇宙人への適応が進化しています。
同時に、彼女の行動の基準も描かれました。3話で暴れまくったタヌキ星人には毅然とした対応を見せ、ぶん殴ります。
マミ「どどどど、どういうつもりなの!?こっちは客なのよ!?」
ヤチヨ「お客様であれば勝手に何でも許すということではありません!私はこのホテルを守るためなら!たとえお客様であっても!殴ります!」
銀河楼の存続が第一、お客様が第二。主体的に考え行動するヤチヨさんにはそういう優先度なんですね。ホテリエとしてどうなん?と思わなくもないですが、もともと銀河楼の存続ができなくなることで特殊な思考モードに入ったわけですから当然とも言えます。彼女は、銀河楼に仇なす者を殴り飛ばすことができるのです。
しかし、優先度という話だと、この時点のヤチヨさんは自分自身の安全に対してきわめて無頓着な面も見られます。
ヤチヨさんは環境チェックロボやハルマゲが射撃をしようとする際、自ら射線に入って防ごうとします。また、4話のヌデル戦でも自身の安全を考慮している様子はほとんどありませんでした。少し意味合いは違いますが、2話の回想シーンにも自棄的な発言があります。
ヤチヨ「私はお客様の心が分からない不良品のようです。廃棄処分にしてください」
そもそもロボットというのは、人類の危険を肩代わりする目的で利用されることが多いものです。「ロボット三原則」には「自身の安全を守ること」という項目がありますが、三つの原則の中では最も優先度が低いものでした。銀河楼を守りお客様対応をするという任務の中では、自身の安全の優先度が低くなるのは納得しやすいです。
また、この時期のヤチヨさんのポン子に対しての意識にも特徴があります。ポン子は3話の終盤から銀河楼の従業員として働くことになりますが、これ以降のヤチヨさんは、就業規則から労災申請まで、ポン子をはっきり「銀河楼の従業員」として扱っているんですね。これはこの時点では割と当たり前なんですが、物語後半になると事情が変わってきます。
以上より、ストーリー前半のヤチヨさんは下記のように表すことができます。2話の後半~7話までのヤチヨさんの描写です。
- AIの直感による自発的な思考ができる
- 優先度は銀河楼が第一、お客様が第二
- 銀河楼に有害なら客でも殴る
- 自分自身の安全には無頓着
- ポン子は「銀河楼の従業員」
これを当エントリでは「前期ヤチヨさん」と呼称します。当初の仕様と比較して、自発的な思考ができ活動範囲が大きく拡大しました。その一方で、ホテルのために尽くすホテリエロボットであることには変わりありません。ホテルに対しての位置づけは大きく変わっていないと言えます。
しかし、そんなヤチヨさんに7話で大きな転機が訪れます。
銀河楼ホテリエ「ヤチヨさん」のパーソナリティ
飛び出していけ宇宙の彼方
ひょんなことから、宇宙人向けの広告衛星と神の杖を打ち上げる話が銀河楼の一同で持ち上がります。幸いにもポン子は帝都ポンポコユニバーシティの宇宙工学科を首席で卒業した経験があったため、打ち上げに関する知識には問題がありませんでした。しかし、積載重量と安全性の問題から生命体であるポン子の搭乗は難しいとの理由で、ロケットにはヤチヨさんが搭乗することになります。
ポン子「ヤチヨちゃん大丈夫?」
ヤチヨ「何がですか?」
ポン子「初めての宇宙だし、怖くないかなって」
ヤチヨ「……私にその感情はわかりません」
ポン子「そっか。怖がってるのはいつもポン子だけだよね」
打ち上げの直前、ヤチヨさんは「怖いという感情は分からない」とポン子に語りました。ここでも自身の安全への意識が薄い様子が伺えます。
そしていよいよ衛星の打ち上げが実行されます。ロケットは順調に軌道に到達し、広告衛星と神の杖の展開フェーズまでは滞りなく進行しました。
しかしその時、突然の太陽フレアが発生、高エネルギーの荷電粒子が降り注ぎます。ヤチヨさんは致命的な故障は免れたものの、エラーを起こし一時的に動作が停止、周回軌道に単身放り出されてしまいます。
いっぺん死ななきゃ分からない
宇宙空間に取り残されたヤチヨさん。この状態の彼女が自力で地上に帰ることは非常に困難ですし、ポン子たちが救助するのも現実的にとても難しいです。
この時点で、地上に戻れなくなったヤチヨさんは事実上「死んだ」のとほぼ同義の状態となっています。オタクに分かりやすくいうところの「そのうちカーズは考えるのをやめた」ってやつですね。
擬似的な「死」を経験するヤチヨさん。ここで彼女に大きな変化が起こります。
ヤチヨ「あっ……、これ……」
ヤチヨ「これがそうなのかもしれませんね」
「死」というのは絶対的です。その人とそれ以外の関係を全て切り離して過去のものにします。地上に帰ることができないヤチヨさんは、もう銀河楼で働くことはありません。ヤチヨさんと銀河楼の関係はここで途切れ、宇宙に漂っているのは「個」としてのヤチヨさんに限りなく近づきます。「死」は個人を完結させるんです。
ヤチヨ「この気持ちが……きっと……」
彼女のAIは、このとき初めて彼女自身のエゴ100%の出力を生成しました。
ヤチヨ「皆さんにもう会えないのが、怖いです」
ヤチヨさんに自我が生まれた瞬間です。銀河楼で働くために生まれたホテリエロボットは、「死ぬ」ことで初めての感情「怖い」を獲得するのでした。
ここでエンディングテーマ「カプセル」の歌詞を見てみましょう。
(EDテーマ aiko 「カプセル」より)
あたしの事 忘れたかな
花は枯れて 実を残して
心というものが 生まれたの
どこに行ったの?
寂しいよりも 遭いたくて
死にそう
この歌詞はヤチヨさんと人類の関係を表しているものだと考えていますが、こうして見ると7話の展開にもあまりにキレイにハマっています。この作品、改めて恐ろしいですよ。
銀河楼のヤチヨさん、ヤチヨさんの銀河楼
宇宙で迷子になったヤチヨさんでしたが、奇跡的な展開、もしくは作劇上の都合であっさりと地球に戻ってきます。とはいえ地球に戻ってくるまでに20年、そこから更に再起動できる程度に修復するまで50年かかりました。
この20年の間にポン子は一気に大人になっちゃいました。ただ、もともとがタヌキ星人が化けた姿なので、これをそのまま受け取るのは危険かもしれません。銀河楼を代理運営するにあたり、大人になる必要があるとポン子が自身で判断し、大人の姿に変身した可能性があります。その後の展開を考えると、7話時点で見た目ほど幼女ではなかったのかもしれませんね。大卒だし。
ヤチヨさんはというと、この50年の間に「夢」を見ました。7月のスタッフトークショーによると、いわゆる「電気羊」をやりたかったとのことですが、これも「夢を見るか?」の言葉そのままのオマージュだけではなさそうです。前節の通り、ヤチヨさんは宇宙空間で「個としての感情」を発現しています。この「夢」はヤチヨさん自身がこれまでの記憶を改めてなぞることで、人格が構成されていくシーンだと自分は解釈しています。
銀河楼に戻ることができたヤチヨさんですが、以前のままというわけにはいきませんでした。地上への墜落で破損したボディの代替で、下半身はキャタピラ、両腕はゴンスケ@藤子・F・不二雄のようになってしまいます。仕事にも思い切り支障をきたし、ホテリエとしての能力は大きく低下してしまいました。
また、ヤチヨさんと銀河楼との関係が一旦途切れたことで、両者に時間的な乖離が生じます。銀河楼はポン子の意志で大きく変化してしまいました。防衛のための武装が増え、決済システムも変更されています。ヤチヨさんの人間性の象徴、シャンプーハットも撤去されちゃいました。これらにヤチヨさんは強い疎外感を感じます。
そういった無力感・疎外感、そして涅槃像のせいで、ヤチヨさんはついにプッツンします。
グレちゃった……!
視聴者もビックリな展開でしたが、ヤチヨさんがここでグレるのも、感情を発露して自我を形成しつつあるからなんですよね。まだ自我が成熟しきっていないタイミングであるからこその反応でもあり、グレるタイミングは必然的に「ここ」なんです。
グレてしまったヤチヨさんに、ポン子は戦闘用ロボに乗り込んで説得を試みます(説得です)。両者はミサイルやガリアンソード?で激しく口論し(口論です)、最終的にポン子の言葉がヤチヨさんに大きく刺さります。
ヤチヨ「私はホテルのために尽くす、ただのホテリエロボットです。誰かが私のために尽くしてくれることなんてありえません」
ポン子「尽くすなんて大げさだよ。それにただのホテリエロボットじゃなくて、ヤチヨちゃんだから」
ヤチヨ「理解できません……」
ポン子「ヤチヨちゃんの代わりはいないの!みんなヤチヨちゃんが大好きなんだよ!」
ヤチヨ「理解できません!」
ポン子「相手のことを分かろうとするのはホテリエの基本なんでしょ!?」
ヤチヨ「私は…!」
ポン子「ならポン子のことだって分かろうとしてよ!」
オーナー(回想)「心を通わせるとはどういうことかを理解し、おもてなしの心を学んでほしい」
ポン子は「ヤチヨちゃんを一人の人格として認め、好いている」と言っています。そしてここでのオーナーの回想は深いですね。「心を通わせるとはどういうことか」に対する答え、それは「自分自身の人格を認めること」だという描写になっています。自分に人格があるからこそ、相手のことを真に理解し、通じ合うことができるのだと。
それに対するヤチヨさん自身の答え、それは――
ヤチヨ「私……、銀河楼でまた、働きたい……!!」
ここで、ヤチヨさんの人格がはっきりと定まりました。「銀河楼のために尽くす」のではなく、「自分が働きたいから銀河楼で働く」。ヤチヨさんと銀河楼の関係が逆転した瞬間でもあります。ヤチヨさんはここで自己を確立し、自己実現欲求を獲得したのでした。
我望む、故に我在り
こうして人格を獲得したヤチヨさんに、それまでとは違う大きな変化が現れます。それは「自分がしたいこと」、利己的な要求を発信できるようになったことです。8話の決戦後、ヤチヨさんは伝統に縛られることに拘る必要はないと言いながらも、一旦撤去されたシャンプーハットを再設置するのでした。
ヤチヨ「では早速、シャンプーハットを再設置してきます」
ポン子「えっ?」
シャンプーハットは銀河楼にはもう必要ない。だけど関係ありません。ヤチヨさんが置きたいから置くんです。
続く9話でも、冒頭からヤチヨさんの利己的な描写があります。ポン子からポンスティンと結婚すると伝えられた瞬間、ヤチヨさんはポンスティンを殴り飛ばします。
ヤチヨ「ポン子さんは渡しません!」
ヤチヨ「あ、今わかりました、殴った理由。それです、考えるより先に手が出てしまいました」
ここでヤチヨさんが怒っているのは別に「銀河楼のため」ではなく、自分の都合なんですよね。自分のエゴで暴力を振るっています。3話でブンブクを殴ったのとは大きく違います。ギャグ要素の強い暴力描写ですが、このタイミングなのにはちゃんと理由があるんです。このアニメ、マジなのか。
ヤチヨさんの欲求の表現はそれ以降も次々と出てきます。
ヤチヨ「私は、お二人の披露宴がしたいです」
ヤチヨ「ところでポン子さん、式までに私の身体、直りますか?」
ヤチヨ「(死体を)隠しましょう」
ヤチヨ「英気を養ったので、職務に戻りたくなりました」
そして自身の欲求が「生存」にまで及んだのが、神回の11話です。
それまでのヤチヨさんは、ロボットである自分自身に生存という価値を見出していませんでした。生命体の代わりに働いて壊れる、それが本来のロボットだからです。そんな彼女が(多少戸惑いながらも)、自分自身の生命維持のために行動します。その結果、他のロボットから部品を「奪い」、ヤチヨさんは自身の活動期間を伸ばすことに成功します。
ヤチヨ「生きている感じがしました」
ヤチヨさんはいよいよ「生きたい」という生命の基本欲求を獲得したのです。
更に、前期ヤチヨさんからの特筆すべき変化がもう一つあります。ヤチヨさんとポン子の関係が大きく変わっているんです。
ヤチヨ「ポン子さんは銀河楼の従業員であり、私の大切な友人です!」
ヤチヨ「続いて、友人代表によるマジックでございます」
それまで銀河楼の従業員として接していたポン子との関係を、ヤチヨさんは9話だけで二度「友人」と呼んでいます。これはヤチヨさんから見たポン子の存在が変化したというよりは、ヤチヨさんが自分自身の人格を認めたことによるものだと考えられます。友達というのは、自己が確立しているからこそ対等に存在できるんですよね。まあ、友人と呼んだ二回はそれぞれ「婚約者に腹パンする」「祖母の遺体で切断マジックをする」なので、本当に酷いんですが、この人。
このように、8話の和解以降の「欲求を獲得したヤチヨさん」を、当エントリでは「後期ヤチヨさん」と呼称します。まとめると下記のような感じですね。
- 自分が働きたいから銀河楼で働く
- 欲求や感情を明らかに発現・自覚している
- 自身の欲求や感情で行動する
- 自分の都合で殴る
- ポン子は「友人」
ヤチヨさんはこうして「自我」を獲得したのでした。
改めて、人類のバカ
後期ヤチヨさんが得たもの。それは「欲求」であるとともに「感情」でもあります。
12話で、生き残った人類の先遣隊、トマリさんが地球にやってきます。ざっと700年以上ぶりの人類の帰還、それに大喜びするポン子(ええ子や……)。しかしヤチヨさんは微妙な反応を示します。
ヤチヨ「嬉しく、ないんです」
ヤチヨ「人類のお客様が帰ってきたのに、ずっと待っていたのに、特別な嬉しさがないんです」
「嬉しくない」、後期ヤチヨさんは明らかに感情を自覚しています。「感情」というのは多くの場合「欲求」と繋がっています。「人類が帰ってきて嬉しい」のは「人類に帰ってきてほしい」からであって、その欲求がないから「嬉しくない」んですよね。
そう、ヤチヨさんは人類に「帰ってきてほしい」という欲求がもう大きくありません。オーナーとの約束には価値がなくなってしまっています。これが本作の大オチとなっています。
(OPテーマ「skirt」より)
夢中になって 何もかも見えないなんて
恥ずかしいと鼻で笑う
あなたはあたしの愛しい人ではもうありません
スカートは揺れる
じゃあまたね!
ヤチヨさんが何故そう感じるようになってしまったのか。ポン子は「これまで宇宙人のお客様を同じように扱ってきたから」「それはオーナーの約束よりすごいことだ」と説明します。その言葉にヤチヨさんはいたく感動しますが、しかしその理由の本質はそこではありませんでした。
トマリ「ヤチヨさん!きっとすぐに帰ってきます!それまで、このホテルを続けていてください!」
ヤチヨ「は?」
ヤチヨ「ちょっと待ってください!きっとすぐっていつです!?答えてください!」
ヤチヨ「こらー!待ってください!もっと具体的に期間を提示して!」
ヤチヨ「いやちょっと何笑とんねん!!!」
ヤチヨ「なんでいつも大事なことを言わないんですかーーー!」
ヤチヨさんは怒っていたのでした。人類に対して怒っていたから、彼らの帰還が嬉しくなかったんです。このやりとりは言うまでもなく、オーナーのこの言葉にかかっています。
オーナー「なあに、数年宇宙に避難するだけさ。私はすぐに帰ってくる」
オーナー「その時まで、ホテルを頼んだ」
ヤチヨさんが精神性を獲得する下地にあったのは、極大な「ストレス」でした。そのストレスの正体は、達成されない約束でヤチヨさんたちを置き去りにした、人類(=オーナー)への怒りです。結果的に本当に生まれてしまった彼女の「人格」は、人類とオーナーに向かって本心からの言葉を投げつけるのでした。
ヤチヨ「人類の、バカーーーーー!!!」
まとめ:このアニメ、やってやがる!
以上、ヤチヨさんが得た人格の推移について述べました。前期ヤチヨさん・後期ヤチヨさんという大きなフェーズがあり、それらのフェーズへの転換にそれぞれちゃんと丁寧な描写があるので、実はかなり濃密な作品です。
これらの情報は自分のテキストだけじゃまとめきらんと思ったので、画像1枚にまとめてみました。どうでしょうか。この作品のストーリーの構造が分かりやすいかと思います。
※この画像のSNS掲載はご遠慮いただけると助かります。
こうして見てみると、各エピソードがヤチヨさんの変化に合わせて配置されていることがよく分かります。1~2話の「起」と7~8話の「転」を基点として、起承転結がキレイにハマっていますね。これは特にブルーレイのジャケットにも現れてます。あんなに好き放題やってたように見えて、このアニメ本当にやってやがります。
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さて、エピソードの配置ということで、最後にいっこ爆弾を放り込んで本稿を締めましょう。
ヤチヨさん自身の「恋愛」という要素について。
これは本編では、6話のハルマゲ回でポン子から軽く触れられる程度でした。このときのヤチヨさんは「前期ヤチヨさん」。彼女自身の存在価値が、イコール銀河楼の存続だった頃です。まー、恋愛なんてね、あり得なかったわけですよ。そりゃ何も起きません。このネコカンガルーめ。
では、「後期ヤチヨさん」だったらどうだったんでしょうか。
ハルマゲが来たのが8話より後だったとしたら?人格を得たヤチヨさんがハルマゲと出会っていたら?そのとき、何かが起きてたんでしょうか?
……。おっ(妄想)
もちろん分かりません。分かりませんけど、なんかニヤニヤしちゃうよね、というところで第1回は終わりです。次回は、銀河楼があるアポカリプス世界について考えていきたいと思います。