【ネタバレ注意】葬送のフリーレン:シュラハトと南の勇者に関しての考察


「葬送のフリーレン」面白いですね!自分もTVアニメから入って見事にハマり、原作を最新刊まで読み切ってしまいました。特にフェルンが好きです。えっち。

さてフリーレン、勇者一行が魔王を倒した後の話であることが一番の特徴だと思います。魔王を倒しに行くのではなく、魔王を倒した後のある程度の平和がやってきた世界で、時には魔王残党と戦いつつも、長寿種エルフのフリーレンが勇者たちとの旅を振り返りながら、のんびり世界を巡る話になっています。この牧歌的な要素をベースとした柔らかな空気感が一番受けているところではないでしょうか。

とはいえ、年明けからはハンター試験……じゃなかった魔法使い試験編が始まり、その後には強敵との戦いが続くこともあって、だんだんとシリアスな展開が増えていきます。このエントリ記述時点で最新のエピソードなどでも、これまで語られなかった魔族側視点での情報が少し語られました。どうやらこの作品には、表面的な旅行記というだけではなく、その裏に隠された「これからの戦い」が用意されているような気がします。しかも、それが個人的にはとっても自分の嗜好と近くて、とてもワクワクしているところです。

そういったフリーレン世界の踏み込んだ考察を誰かとしたい……けど、自分の友だちはドラえもんの指で数えられる程度しかいないので、ブログにエントリを書くことにしました。興味のある方は付き合ってください。

ただし!このエントリの内容は原作の最新のネタバレに踏み込む他、まだ語られていないような内容に触れる可能性があります。また、全然的はずれなことを書いてる可能性も高いというか、むしろただの妄想が大部分を占めてる可能性が非常に高いです。今後のフリーレン世界をまっさらな気持ちで楽しみたい方は、このエントリを読まないことをオススメします。あと、自分の情報は単行本12巻までの本編のみでしかないので、それ以外のソースでこの内容とは異なる情報が出ていたらすみません。

というわけで、ここから先はネタバレと作品の楽しみ阻害に超!注意です。

主題と前置き

このエントリで語る主題は、「予知能力者たちの戦い」です。作品を最新まで追っている人は、予知能力者が作品に出てくることを既にご存知だと思います。魔族側の「全知のシュラハト」、そして人間側の「南の勇者」です。この2人はこれまで話の幅を広げる役割程度でしか出てきていませんが、この2人の戦いこそがフリーレンたちのこれからの戦いの大きな鍵を握っているのではないか、という考察をしていきます。

とはいえ、作中では多くが語られていないので、ほとんどは状況証拠で、モヤッとした予想しかできないものとなります。だからこそ考察が楽しいってやつですね。割と哲学的で「突き詰めて考える」楽しい内容となっています。それでは行ってみましょう。

フリーレン世界の予知能力者を本気で考えてみる

「全知のシュラハト」と「南の勇者」は予知能力者です。しかもかなり強力な予知能力をもっているようで、2人とも自分が死んだ後のことまで予知しているフシがありました。

予知能力というのは現実には存在しません。なので、その能力がどういったものなのかは創作ごとにかなり異なります。予知した内容が100%確定するもの、自分が見聞きすることだけ予知できるもの、数秒後だけが見えるもの、「ジョジョ第3部」のボインゴや「H×H」のネオンちゃんのように断片的な情報を予知するものなどがあります。なので、彼らの予知に関してフリーレン作中でどのような制約や強力さがあるのかは正確には分かりません。が、ある程度突き詰めて考えることはできます。

まず、シュラハトは「私はもう数えきれないほど予知した未来の世界で南の勇者と戦ってきた」と言い、無名の大魔族ソリテールも「未来を何万何億回と見てきたような存在の崇高な考えなんて私達にはわからない」と言っています。そもそもなぜ、何回も予知をする必要があるんでしょうか。「未来が見える」なら、1回予知すれば十分なのでは?という疑問が生じます。

何回も予知をするのは、予知をするたびに未来が変わるということ。それはつまり、予知に対して自分自身が異なる行動をとることで、未来を書き換えることが可能だというわけです。たとえば、競馬を予知して勝つ馬が分かれば、自分は買う予定の馬券を変更し、その馬の馬券を買って勝つことができます。未来が一つに限定されないタイプの予知能力者は、そうやって運命と戦います。「何回やっても◯◯が死んでしまう!」という「まどマギ」ほむらちゃん系のタイムリープ能力者と、順番こそ違いますが似たような戦い方です。

予知能力者が予知できるというのは、基本的に未来にランダム性が存在しないことが前提となります。じゃんけんで相手の出す手が予知と関係なくランダムであったとしたら、予知という概念が成立しません。競馬の例でいうと、ランダム性なく必ずその馬が勝つということが決まっている、というのが予知能力の前提となります。そうでなかったら競馬予想と変わらなくなってしまいますね。

ここで重要なのは、競馬の馬にしろジョッキーにしろ、予知能力者の前ではランダム性や選択権を持たない、すなわち「未来の決定権がない」ことです。それに対して、予知能力者は未来の情報を知ることによって、「どの馬券を買うか」のように未来を選択することができます。ということは、予知能力者と非・予知能力者の違いというのは、予知能力の有無だけではなく「未来を書き換える能力」の有無であるとも言えるわけです。これがとても重要です。

さて、こういった予知能力者が「未来を変える」きっかけはなんでしょうか。南の勇者のセリフから、彼らは自分自身の将来の予知もできるようです。馬券を買うという自分の行動に対して、自分が大金を手にしている姿を「予知」できているのだとすると、「馬券を買うぞ」という「行動の意志をもった時点」で予知が確定する可能性は高そうです。「馬券を買った」事実が確定しないと「自分が勝っている予知ができない」んじゃ、予知の意味がありません。彼らには「馬券を買う前」に「勝ち馬の馬券を買うという意志をもつ」ことで、「勝ち馬を当てた未来」が見えているはずです。

これ、実はとんでもなく恐ろしいことです。「自分の行動に対する意識を変える」だけで「未来を確定する(仮定すると言った方がいいかも)」ことができ、更にその結果を予知することにより「複数の未来パターンを思考実験できる」からです。そこに具体的な行動は必要ありません。頭の中で行動の意識を変えるだけで何パターンもの未来を予知でき、リスクの高い未来を避け、リターンの大きい未来を選択することができるわけです。

これは未来予知による非常に大きいメリットです。このシミュレーション力が本当に凄い。特にシュラハトのように何百年先の未来まで見えるとなると、他人の力もうまく利用することができれば「物理学的な仮定を長時間かけて検証して結果を先に知る」ことだってできてしまいます(後述のヒンメルの件)。何をすればどうなるという因果が事前に分かり、様々な不確定要素を確定的に決定することができるので、歴史そのものを作る能力と言っても過言ではありません。実際、シュラハトは未来の歴史を意識した言葉を発しており、この能力がフリーレン世界の縦糸になっている可能性は高いと思います。

ここまでをおさらいします。

  • フリーレン世界の予知能力者は何度も予知をする。それはつまり未来が複数存在するということ。
  • 予知なので未来にランダム性があるわけではない。予知能力者は自分の行動(の予定)を変えることで未来を書き換えることができると考えられる。
  • 予知能力者は自分の未来の行動を「こうする」と意識を変えるだけで未来を書き換え、複数のパターンで思考実験ができる。こうすることで、幾多の未来から自分の望むものを選ぶことができる。

※上記のような情報の先行性を利用して「仮定を検証して結果だけ知る」を瞬時にやってのけているのが単行本12巻のヒンメルで、こういったところからも当作に対してのSF的思考の高さを感じ取ることができます。このときのヒンメルの「だから今そうすると決めた」というセリフからは、上記の能力推察が合ってそうな印象を受けています。この言葉でフリーレンに石板の記憶が蘇るのも大変興味深い表現でした。

※作中では「自身の死後の情報も見える」「シュラハトには未来のフリーレンの行動まで見えている」ことから、予知の範囲が非常に広いことが分かりますが、ここまでになると「予知とか関係なく時系列を超えた全ての情報を事前に知っている」まさに「全知」級の能力であり、予知とか以前にそれ自体が脅威そのものとも言えます。アカシックレコードってやつです。これを踏まえると再現のない話題に広げていくこともできます。例えば未来のフリーレンの姿が見えるというなら、彼女の秘密や弱点までなんでも分かりそうなもんです。フリーレンに限らずですよね。現実で考えると超怖いです。既に死んでいる人がプライベート含めた自分のことを全部知ってる可能性があるんですよ?怖っっ!!しかしこのエントリでは要点を絞って、「未来予知」から得られる要素に絞って考えていきたいと思います。

予知能力者の弱点

予知能力が最強クラスの力であることは疑いようがありません。複数の予知でシミュレーションを繰り返して、自分にとって都合がいい未来を「確定」し、その行動を現実で実行することができれば、そこで勝ちが確定します。戦争などの政治の分野でも、競馬のような経済的な要素であっても、常に勝ちを得られる最強の能力に近しいものです。

しかし、そんな予知能力者も必ずしも無敵ではありません。

例えば、予知能力者は「じゃんけんで必ず勝てる」ような気がしてしまいますが、そうとは限りません。「相手の出す手が先に分かるんだから、絶対勝てるのでは?」と思っちゃいがちですが、それに対する対抗策は「未来予知」よりは可能性が高いものが存在します。「H×H」のゴンや「リコリスリコイル」の千束などは、じゃんけんの際に「相手が出す手の動き」を見て出す手を変えることで、じゃんけんの勝率を高めることができる、と作中で説明されています(千束はもうちょっと単純でしたが)。この能力を単純に捉えて「相手の出した手より強い手を出せる」と考えると、予知能力者が何を予知して手を出そうが関係なく、相手はじゃんけんに勝つ可能性があります。

このとき、予知能力者の予知からは「こちらがグーを出すと相手はパーを出す」「チョキを出すと相手はグー」「パーを出すとチョキ」といった見え方になりますね。予知がどれだけ完璧であっても、「予知した選択肢に対して100%対応できる相手」には、結局勝ち目が存在しないという可能性があるわけです。予知能力者は確定じゃんけんという勝ち目のない戦場に立つ前に、他の勝ち手を計画する必要があります。

実際、予知能力だけで「腕っぷしが全然違う相手に正面からケンカで勝つ」のは難しそうに思います。予知ではないですが、「幽遊白書」の心を読む能力をもったボクサーを思い出します。相手の「物理的な速さ=強さ」には「行動の情報」だけでは対応できませんでした。「ジャングルの王者ターちゃん」のアペデマスはまさに未来予知ができましたが、予知の中で見えるターちゃんの動きの速さに対応できず負けるという描写がありました(例えがジャンプばかりで、しかも古い)。予知ができればいいというものでもなさそうです。

また、予知能力者自身が、物理的には完全ではないといった問題もあります。

たとえば「けん玉」。自分がこれからけん玉を1回やるとき、それが成功するか失敗するかという予知は、実はあまり意味がありません。なぜか?予知能力者は「自意識で未来を変える力がある」と言いましたが、これはつまり自分自身の行動が(体の精密な動きなどで)ランダム性を伴うとき、「成功する未来」を100%トレースできるとは限らないことを意味します。いくら「成功する未来」が見えたとしても、それを再現するには「その予知と全く同じように体を動かしてけん玉を振らないといけない」わけです。自分の行動で未来が変わるわけですから、自分が自分の体の行動を100%制御できないと「失敗する未来を選んだ」のと同じことになってしまいます。自分のけん玉の成功率を100%予知できる能力者は、予知能力がなくてもけん玉を100%成功できる能力を持っている必要があります。

実はじゃんけんの例でも同じで、相手がゴンや千束のような特殊な相手でなくても、こちらが勝ちを確信して「ニヤッと笑う」ことで、相手は(なんとなく)手を変えてしまうかもしれません。これはいわゆるバタフライエフェクトというのに近く、自分自身が意識的ではないレベルで「体を動かす」ことが、結果に影響を与える可能性がある事を意味します。
(※このあたりは作品の前提やルールで変わる可能性はあるとは思います)

つまり、予知に対する最大のノイズ発生源は、「未来の決定権」をもつ予知能力者自身というわけです。予知能力者は自分自身の行動に対して常に慎重になる必要があります。この点、シュラハトも南の勇者も、非常に気を使っているような描写がありました。さすがです。

なお、現実的に予知能力者が存在した場合に最大限効率的な運用は、おそらくどこかの部屋に閉じ込めておき食事などは外部から差し入れ、手紙でのみ外部とやり取りするという形でしょう。外部との情報の送受信を手紙のみとすることにより、それ以外の予知能力者自身から発生する予知ノイズを極力カットすることができます。コンピュータプログラマーに伝わる言い方だと「IOインタフェースを確定する」ってやつですね。

実は僕は永遠の中二病で、そういう世界観の話をずっと妄想して生きてきたので、こういう話題に対して敏感だったりします。なお、自分の考える妄想の中での予知能力者は、別の能力を持つキャラに負けるんですが、その能力はまだ温めておきたいので話しません(たぶん一生外には出ない)

予知能力者のパラドックス ~2人の予知能力者~

こういった点から考えても、シュラハトと南の勇者の行動には解せないことがあります。彼らはなぜ表に出てくるのでしょう?そしてなぜ、彼らはお互い直接戦って、殺し合うことになったのでしょうか?予知能力者は究極の「安楽椅子探偵」で、表に出る必然性がありません。表に出なくても予知はできますし、自分自身が予知に対してノイズになることからも逃れられるわけです。何より、予知能力者は最強のカードなので、基本的には死ぬことが許されません。わざわざ表に出るメリットがないわけです。

それについてもある程度の説明がつけられます。

まず、南の勇者については「単純に敵が強かったから、戦術的にも最強クラスである自分が出ていかなくては」という使命感もあったのでしょう。予知能力者はゴンや千束のような化け物クラスでなければ、驚異的な勝率で択一勝負に勝てる最強の能力です。それだけでも自身が先だって戦いに出ていく必要はあったのだと思います。実際、七崩賢では抑えが効かないくらいの存在だったようですし。あと、あまり考えたくないですが、予知能力は罠や騙し討ちといった卑怯な戦法と非常に相性がいいので、そういう戦法も使っていたのかもしれません(良くない憶測はやめましょう)。

シュラハトは南の勇者よりは慎重な行動が見て取れますが、彼も結局南の勇者との直接対決に赴きます。それはなぜでしょうか。ここが一番面白いところです。

これまでの話にもあった通り、予知能力者には「未来を選択して書き換える力」があり、そして非・予知能力者にはその力がありません。ところが、世界に予知能力者が2人以上いた場合、何が起こるでしょうか?

予知能力者が「自分がこうする」という意志で未来を書き換えたものが、他の予知能力者の「それなら自分はこうする」という別の意志で「更に未来を書き換えられてしまう」のです!

予知能力者は別に未来を書き換える能力があるわけではなく、未来に何が起きるかを「予知」して結果を先に知ることで、それとは異なる未来を(自身の意志と行動で)選択できるわけです。この「未来の結果を先に知ることで自分の行動を変える」意志で未来を変化させられる人物が2人以上いると、予知能力者から見える予知が「他の予知能力者の意志」で変化してしまうのです。おお、これは面白い!

もともと「予知ができる」能力の前提には「他人の行動にはランダム性がない」ことがあったんですが、自分以外に予知能力者が存在すると、それがランダム性になってしまうんです。ここでも、予知に対する最大のノイズ発生源は「未来の決定権」をもつ予知能力者という話に繋がってくるわけですね。

そんな予知能力者同士の戦いは「未来の取り合い」です。片方が勝つ未来を予知した途端に、相手はその戦場そのものを回避しようとし、その未来にたどり着かないように行動します。先程のじゃんけんの話と同じで、論理的に勝てない状況はそれ自体が避けられます。すると、その世界に複数の予知能力者がいることによって予知能力が機能不全を起こすようになります。互いに予知を成功させないこと自体が戦いの目的となってしまい、予知だけで戦闘が進みます。これこそが真の「私はもう数えきれないほど予知した未来の世界で南の勇者と戦ってきた」ってことですね。

結果的に戦線は膠着し、そしてお互い遠い未来も見えたのでしょう。このままでは互いに負けることはなくとも、人類と魔族どちらも幸福にはならない、そんな不毛な状況になると判断したのではないでしょうか。

それを回避するために必要なのは、「予知能力者の排除」です。未来の奪い合いという不毛な戦いから脱するためには、どう考えても互いが邪魔という結論になった、と考えられます。とにかく予知能力者がいなくなれば未来は確定できるわけですし、なんならそのために自分がいなくなったとしてもそのメリットは計り知れません。その結果、お互い殺し合う動機ができてしまったわけです。予知能力者同士が戦うこと自体は「未来が確定しない(一方的に勝てる可能性がある)」行動でもあり、どちらにとっても大きなメリットがあったと考えられます(もちろん一方的に負けるリスクも伴います)。

それでもお互い予知はし続けており、どちらか一方が有利な状況になれば相手は現場に出てこない状況になり、かといって絶対に一方的に負けるわけにもいかない。そういった予知の綱引きが最終的に行き着いたのが、「おそらくお互いに相手を消すことができる状況となる」予知能力者同士の刺し違えなのが、タイムパラドックスを孕むこの関係性の一番美しいところであり、悲しいところでもあります。自分が死ぬ可能性が濃厚だからこそ相手が戦場に出てくる。それは前提であり、必然でもあったわけです。そのために魔族側に必要だった手札が七崩賢だったと考えると、単純な戦闘力では圧倒的に南の勇者>シュラハトだったのかもしれません(南の勇者が戦場に出てきがちだったことも説明がつきます)。

予知能力者に対して他の能力は本当に不利なので、七崩賢の存在は南の勇者にとって本当に大したことはなかったんでしょう。3人も倒していることからもそれが伺えます。シュラハトはマハトに「お前という圧倒的な脅威がその場にいるだけで南の勇者の手数を減らせる」「そんなことはやってみないとわからない」と言うところからも分かる通り、南の勇者との戦局を読み切れていません。とはいえ、概ねどのような戦闘が行われて誰が死に、南の勇者がどの程度傷ついた状況で自分と戦うかが見えており、倒せる可能性は高いと踏んでいたのでしょう。

結果的に、お互いそうなるだろうと思っていた通り戦闘は「相打ち」で終わったとされています。ただ、そのシーンはフリーレンには隠匿されており、その情報がフェイクやブラフである可能性もあるので、今後の展開が楽しみですね。

そして戦いは現代へ

彼らの戦いの前、シュラハトは「魔族の存亡を懸けた戦いであり、敗戦処理であり、千年後の魔族のための戦い」と言いました。彼にとって予知能力者がいなくなって未来が固定されることは、魔王が負けることより重要だと言ってるわけです。魔王が負けた後の世界で何が起こるのか。そう、ここからが彼にとっての本当の狙いというわけです。彼は既に亡くなっているんですけどね。

こうなってくると、話を動かす可能性が高そうなキャラクターが絞られてきます。そう、タイムスリップ編で登場した「終極の聖女トート」です。彼女の「呪い」は「現代から84年ほど前」に「あと100年もすればこの星を覆い尽くす」と言っていますので、彼女との戦いこそが、(今のところ)シュラハトが予知した未来の魔族に一番関係するものであるように感じます。まあ、そうなるのかどうかはまだ分からないんですけどね。あるいは、今のところ影も形も描かれていない「魔王」が何らかの形で関わってくるのかもしれません。

そんなこんなで、これからのフリーレンの話の展開がとても楽しみだというところで、この話は終わりとなります。作品を改めて読み返してみても、原作者が自分と同じように考えているんだろうなという感覚が(自分には)感じられるんですが、ここに書いたような話が作中で語られるかどうかは分かりません。この話って実は作品的には明言されなくても問題ないんですよねw まあ、だからこそ誰かに話したくて仕方ない話だったわけですが。

単行本12巻の過去編の様々な描写を見ても、この作品はタイムパラドックスに対してとても真摯な印象をもっています。この作品がこれらの要素を今後どのように描いていくか、個人的にとても楽しみです。ついうっかりこのエントリを読んでしまった人も、是非いろいろ考えてみてください。きっと更に楽しくフリーレンを読む事ができる気がします。できないこともあると思います(霧子構文)

余談:予知能力って結局さ……

これまでの話にも出てきましたが、予知能力者が予知を成功できるかどうかには「自分以外に予知能力者がいないこと」が非常に重要になってきます。世界に1人?2人?みたいな話をついしちゃいますが、世の中には何百万何千万あるいはもっと人間がいますし、動物も含めるともっといます。フリーレン世界だと魔族や魔物もいますよね。

となると、他に同じような能力者がいないと考えることの方が不自然です。能力の強さに大小はあるかもしれないですが、クラスに一人くらい微々たる予知能力を持ってる人がいるかもしれない。そうなると、完全な予知能力なんてものはほとんど意味をなさなくなってしまいます。それこそその辺を飛んでる蝶々が僅かな未来を予知して飛び方を変えたら、遠く離れた土地で大きな嵐になる文字通りのバタフライエフェクトが発生するかもしれません。

もしかしたら、この世に生きとし生ける全ての生き物が僅かながら予知能力を持っているかもしれません。が、他の人がその未来を書き換えてしまうので、結局予知が確定せず、誰もそれに気がついてないだけなのかも?そう考えると、予知ってあんまり大した能力じゃないのかもしれないですね。

まあ、人為性が介入しない機械的な選択肢でも全く検出できないので、現実にはやっぱり予知能力なんてないんですけども。。。

余談:予知能力って結局さ……(その2)

作中では七崩賢をも打ち倒すほどの最強の能力である「予知能力」、はっきり言って強すぎます。これが作品的に成立している要素として重要なのが「敵味方に一人ずついる」という状況です。これが「お互い殺し合う」という結末に繋がっているわけで、片方だけだったらバランスブレイカーすぎて始末に終えません。魔王やゼーリエですら手が出せなかったかも。

面白いのが、これまでにも書いている通り、互いの予知能力が互いの有効性を剥ぎ取ってしまっていることです。彼らはそれぞれ一人だけなら最強のジョーカーになれたのが、予知能力者が2人いることで実力を大きく損なってしまっています。このパワーバランスは偶然と言うにはなかなか苦しいくらいです(創作なんだからさ……というのは一旦置いとくとして)

このあたりは気になってる人も多いようですね。Googleで「南の勇者 シュラハト」と入力すると、サジェストで「同一人物」などと出てきます。自分も同じこと考えてました。でも、作中のセリフを見る限り、多分それはないかなと思ってます。

そういった要素から2人登場しているんだと考えると、この作品の裏に潜んでいるパワーバランスの考え方を非常に高く評価してしまったりするわけですが、しかしもうこの作品、「葬送のフリーレン」じゃなくて「シュラハトと南の勇者」だなあ、などと思ってしまったりw 本当にこの作品はいろいろな見方ができて、とても面白い傑作だと思います。

余談:予知能力者は予知能力者の夢を見るか

これは本当に余談。

シュラハトはおそらく南の勇者より年上で、彼らの邂逅より前にシュラハトは「南の勇者が登場する」ことを予知できたと思われます。さて、シュラハトからは南の勇者は予知の中でどのように見えるのでしょうか。「厄介な予知能力者が現れる!」という予知ができたのでしょうか。それなら「赤ん坊のうちに始末してしまえ」とかそういう対応ができたのでは???

いやでもちょっと待ってください。南の勇者の予知能力がシュラハトの予知に影響するのは、南の勇者が「予知から未来を書き換えたから」に他なりません。その南の勇者がいつどのように予知能力を手に入れたかは分かりませんが、彼が予知をしない限りはシュラハトにとっては「ただの人」、予知能力を使う他の予知能力者の登場を予知できたのかどうかは大変興味深いところです(ややこしい)

これがシュラハトに見えていなかったんだとすると面白いですよね。全開で予知予知ヒャッハーしていたシュラハトくん、黄金郷のマハトもビックリなヌルゲーに飽き飽きしていたところ、ある日突然「自分の見ている予知が不規則に変わる」のに気づいてしまうわけです。なんだ!?何が起きた!?誰だ!誰が予知を書き換えた!!

しかしそこは因果を同時に知ることができる予知能力者。そこから遠からず「南の勇者」の存在を予知して認識することになります。全てを知っているはずだったシュラハトは、初めての「未知」に大変びっくりしたのではないでしょうか。そしてそれは、もっとも重大な懸案事項となる敵の出現であったと同時に、南の勇者に対して強い親近感をもった出来事だったのではないか、などと妄想が捗る「予知の中での出会い」なのです。

南の勇者と全知のシュラハト。2人の予知能力者は、出会う前から出会っている、運命の2人だったのです。


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