陵辱系エロ業界はフィクション表記を徹底すべき~クジラックス先生騒動を受けて


先日、成人漫画作家(クジラックス先生)が埼玉県警の申し入れを受けたというニュースが流れました。このニュースはTwitterなどで拡散しバズりましたが、その多くが「表現の自由が脅かされる」という反応でした。陵辱作品大好きな僕ですが、今回の件はネット上で多くの誤解が生じてしまっており、業界にも良くない認識が広がってしまっていると考えています。ですので、ブログに自分の考えをまとめたいと思います。

このエントリで言いたいことを先にまとめると、

  • 埼玉県警は当たり前の捜査をしており、余計なことはしていない(表現の自由も脅かしていない)
  • 陵辱系作家は今回の件にもう少し危機感を持つべき

ということになります。

今回の件は色んな要素が詰まっており、それをごっちゃにして話す人が多いと感じています。ですので、3つの段階に分けて考えていきましょう。

  1. 警察がクジラックス先生を訪ね「どういう意図で描いたのか」を確認したこと
  2. 警察がクジラックス先生に「再発防止に協力するよう配慮を求める申し入れ」をしたこと
  3. 表現規制が行われたのか?ということ

なお、今回の騒動の細かい経緯は説明しませんので悪しからず。

1.警察がクジラックス先生を訪ね「どういう意図で描いたのか」を確認したこと

今回の「性犯罪事件事件」を受け、クジラックス先生のもとに警察が訪れ、「この漫画(がいがぁかうんたぁ)をどういう意図で描いたのか」を確認したとのことですが、それに対して「これでは表現の萎縮を招いてしまう」という声が多く上がりました。しかし、僕はこれを非常にまっとうな捜査だと考えます。自分が警官だとしても絶対に行うと思いますし、逆に犯罪捜査で必ずやるべきことでしょう。

「どういう意図で描いたのか」と聞いたというのは、クジラックス先生が「こういう事態が起きることを期待して描いた」と言っていないこと(教唆でないこと)を確認するってことです。事件を起こした犯人が「この漫画を参考にした」と「同人誌」を提示してみせたのなら、教唆(犯罪をそそのかすこと)の可能性が生じるので、確認しないわけにはいかないですよ。

これに対して「漫画作品を模倣して事件を起こすなんて、犯人側に問題があるだろう。なぜ作品の作者が責任を負う必要があるのか」という反論があると思います。確かにそれは正しいのですが、しかし情報の前提が誤っています。警察は捜査段階では下記のことが判断できません。というか、勝手に判断したらそれこそ問題になります。

  • これは「単純なフィクションの創作作品」なのか
  • 作者がこれをどのような意図で頒布したのか

たとえば、インターネットの掲示板に「放射線調査の名目でこれこれこういう手口で幼女を襲うことができるぞ。誰かやってみてくれ」と書いたやつがいるとして、それを見た別の人間がその通りに事件を起こし、逮捕後に「掲示板で手口を見た」と言ったら、掲示板に書き込んだ人間は確実に教唆犯になるでしょう。この「インターネットの掲示板」が「漫画」の体をなしているだけではないか?といえば分かりやすいでしょうか。漫画は決して「聖域」ではありません。

また、「どのような意図で頒布したのか」もこの場合問題になります。これが本屋で手に入る商業作品だったらまた違ったかもしれませんが、なんせ同人誌です。頒布会場でどのように手渡されてるか分かりません。「実際にそのように渡されたかも」って言ってるんじゃないですよ?捜査している段階の警察にはそれがわからない(あるいはわかっていても思い込みで判断してはいけない)ということです。

ポイントは、別に警察もそれを本気で疑ってはいないだろう、ということです。しかし、それでも確認しないわけにはいかない。なんせ、本当の性犯罪の犯人が「これを参考にした」と言って名前を出しているわけです。「犯人は馬鹿なことを言っている」と判断するにも、妥当な理由が必要でしょう。それをしなかったら手抜き捜査です。そのほうが問題ですよね。

2.警察がクジラックス先生に「再発防止に協力するよう配慮を求める申し入れ」をしたこと

さて、そうして警察がクジラックス先生の家にやってきた際に、「再発防止に協力するよう配慮を求める申し入れ」をしたとのことです。具体的には、「これはフィクションだ」「作品に書かれてることを実際に模倣するな」「実際にやると処罰されることがあるぞ」と記載してほしいということですね。ここが今回の一番問題に挙げられたポイントではないでしょうか。この点をもって「事前検閲である」「表現の自由を奪う行為だ」「そんなん書いても犯人には効果ないだろ」などとTwitterで言っている人も多く見かけました。

しかし、これは大きな誤解をはらんでいると思います。警察がなぜ、そんな申し入れをしたのか。そんなの決まってるじゃないですか。それが書いてあれば、今回警察はクジラックス先生の家に行かなくてもよかったかもしれないから、です。

クジラックス先生の作品に「この作品はフィクションです」「実際にやると処罰されます」と書かれていたら、下記のことが分かった筈です。

  • これは「単純なフィクションの創作作品」なのか
  • 作者がこれをどのような意図で頒布したのか

はい、先程「1」で述べたことですね。お分かりでしょうか?そしてもちろん、犯人が「この漫画を参考にした」と言ったところで、警察は「え?でもこれやったら捕まるって書いてあるよ?作者さんがそう断ってるよね?」と言うことができるわけです。当然ですが、警察だってわざわざ漫画家の家にいって取り調べみたいなことしなくて済むならそれに越したことはない筈です。少なくとも、我々が望むクリーンな警察のイメージなら、むしろそうあってほしいでしょ?

これを申し入れるというのは、「1」で提示した警察の仕事と何ら変わることはありません。前か後かだけの話です。というか、今の説明でわかると思いますが、これ、犯罪者予備軍への啓蒙じゃないんです。あくまで「漫画家の自衛」なんですよね。疑われることがあるから、事前に注意書きで自分の身を守ったほうがいいよ、ということです。警察は「申し入れ」をしたと言ってるんですが、なんのことはない、この点に関しては「泥棒が出るらしいから夜は鍵をかけてね」と言ってるにすぎません。それに対して「鍵をかけろだなんて公権力の横暴だ!」「鍵をかけない自由があるはずだ!」というのは違うと思います。

とか書いてたら、同じような内容のことが国会議員の方から報告されたようですね。本当僕もそう思います(記事は表現規制の危機に触れて閉じられてはいますが)。

3.表現規制が行われたのか?ということ

これに加えて、警察が「このような漫画を描くのはよくない。自粛してくれ」と言ったのだとしたら、それは表現の自由の侵害です。それは怒らなくちゃいけない。表現者が怒るべきラインは「ここから先」なんです。しかし、この点に関してはそんなことはなかったと、クジラックス先生自身が明確に否定しています。(埼玉県警が内心どう思ってるのかは分かりませんが、少なくとも今回の騒動ではそういう動きは見られませんでした)

表現規制の危機に関しては、今回著名な方々まで含めて本当に多くの声が聞かれました。ですが、今回の騒動で「表現規制の問題」が起きたとは考えにくいんですよね。「1」~「2」の項で述べたことは、「犯罪の捜査をする警察」がやらなくちゃいけない仕事であって、表現の問題ではありません。今回、実際に犯罪行為が行われたわけであり、警察はちゃんと仕事=捜査をする必要があります。そのことをもって警察を批判するのは、業界としてもイメージを悪くしてしまうことなのではないでしょうか。

[6/18追記]当初の報道で「(クジラックス先生が)このような漫画をもう描かないと約束した」ことが簡単に述べられていたのが紛らわしかった、というのはあると思います。ただ、その話題自体は本当にあったことですし、誤報であるとはいえません。少なくとも自分は先生が自分の言葉で説明するまで判断はできないと考えていました。業界の反応が過敏にすぎたのは否めないと思います。

まとめ:業界は危機感をもつべき

さて、今回実際に性犯罪者があらわれて陵辱系作家の名前を出してしまったわけですが、僕はこれに対して、業界がもっと危機感を持つべきだと思っています。

今回、クジラックス先生は警察に「どのような意図でこれを描いたのか?」と問われたのですが、もし、先生が「こうなることを期待して描いた。現実の幼女が犯されたと思うとおっ勃つ」とか答えてたとしたら、どうなっていたでしょうか?警察が家に行って申し入れしたってだけでニュースになってんですから、下手すりゃ(商用含めた)エロ漫画業界が全て吹き飛ぶくらいの大打撃が発生していたかもしれません。

幸い先生はそんな人ではないわけですが、現実に頭のおかしい犯罪者が子供を狙って事件を起こす事例が少なからず存在している以上、そういう頭のおかしい作家がどこかにいるかもしれないわけです。「だからそういう漫画を描くべきでない」とかそういうことを言ってんじゃないですよ?(ていうか個人的には描いてほしい)ですが、フィクションの創作作品であっても、それくらいの社会インパクトを起こす可能性があることと、作者にはそういう責任がつきまとってることは忘れちゃいけない。今回、クジラックス先生にのしかかっていた責任(=警察が確認しにいったこと)の重さを、ちゃんと感じ取れている人は本当に少ないと感じました。

かの「COMIC LO」が掲げている有名なコピー、「YES ロリータ、NO タッチ」。実はこれ、ものすごく重要なものです。現実の犯罪者予備軍に対する牽制でもあるでしょうが、アレの主目的はそこではないんですよね。作家と、雑誌と、読者を、そういう頭のおかしい連中から守るためのコピーなんですよ。

ですので、僕は陵辱系の(特にゾーニングが要求されるものについて)作品は、「これはフィクションである」「模倣すると罪に問われる」ことを明記すべきだと思っています。確かに、「それを書かない自由」もありますよ?あるけど、それは何かあったときに「疑われることを許容すること」に他ならないわけです。重要なのは「実際にそういう事件が起きた」ってことです。このことを忘れちゃいけない。

よく、表現規制の問題について言われるのが、「フィクションの世界を取り締まってどうするんだ」「現実の被害者を救済すべき」との声です。僕も本当そう思います。しかし、今回の事件で実際に性犯罪が発生し、フィクションの作品名・作者名が挙げられているにも関わらず、「表現の自由が侵される」ことばかりを嘆いている人が多いことに、僕はちょっと落胆しました。そこじゃなくて、「我々はそういう犯罪者とは違う」というメッセージを社会に投げかけていく努力ってもう少し必要なんじゃないの?と思います。

僕と同じく陵辱系エロが好きなすべての人達が、もう少し今回の件について「自分たちのこと」として考えてくれればな、と思って当エントリを書きました。いろいろな考えがあると思いますが、一考していただければと思います。

余談:コナン論について

最後に余談。この手の話になると「じゃあ名探偵コナンはどうなんだ!あれだって作中で違法行為(殺人事件)が頻発してるけど、真似すると捕まるなんて書いてないぞ!コナンにも注意書きが必要なのか!」という話が必ず出てきます。しょーもない話ですが、僕の意見としては、「別に書いてもいいけど書かなくてもいいんじゃないの?」です。

だって、そんな事件起きてないし、起きるのも想像つかないし、そもそもミステリー作品の殺害トリックって「殺したのが自分だとバレないようにするため」という「手段論」であって、レイプみたいな「目的論」とはちょっと違うでしょと思うからです。だいたいコナンの犯人はみんな捕まっとるのに、真似したらアカンw

ちなみに、その線引きの基準は「ゾーニングの必要がある作品」と考えていいと僕は思います。いろんな方面に説明がつくからです。「見た人の本能に訴えかけることが目的の作品」と言ってもいいかもしれないですね。

今回のケースの重要ポイントは「実際に起きた」ということです。再発防止はリスク対策の基本中のキホンです。そういう意図でのエントリだと思っていただければ、と思います。


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